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ABT「ロミオとジュリエット」(マクミラン版)オシポワ/ホールバーグ オシポワ、渾身の演技。

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※画像はNew York Times on line よりお借りしました。
(http://www.nytimes.com/2010/07/12/arts/dance/12romeo.html)


随分な数の観劇記録がたまっていてどうしようという感じですが、もうこれは勢いで見てきたばかりの舞台をすぐ書こうかと。時系列を無視する形になりますが。

びわ湖ホールにてABT(アメリカン・バレエ・シアター)来日公演「ロミオとジュリエット」(マクミラン版)。

美しいパ・ドゥ・ドゥにあふれるマクミラン版に触れる機会はガラでは多いものの、全幕は少ない。
前回10年以上前に英国ロイヤルバレエ団の来日公演にて観たのが直近だったと思う。
久しぶりのマクミラン版。自然と、私が何度となく観てきたヌレエフ版と比較しながら観ることとなった。

前回マクミラン版を観て以来抱いた感想が私をずっと支配してきていたのだが、それは、パ・ドゥ・ドゥやソロなどの振り付けは非常にすぐれているのだが群舞の振り付けがつまらない、というものだった。
しかし今日観て一番に感じたのは、シェークスピアのお国らしいその演劇性、全体構成のバランスの良さ、であった。ヌレエフ版に比べるとゆったりと”余裕がある”感じの群舞の振付から生まれる舞台の雰囲気は、イタリアの中世を描いた絵画のようであった。

まずヌレエフ版との比較からマクミラン版の特徴についていくつか。

・二幕、ロミオが剣を手に取るまでのところ。ヌレエフ版ではティボルトに挑発され、挙句に剣で襲われたためにどちらかというと「保身のために仕方なく」、という演出であるのと違い、ティボルトの挑発があったとはいえ、ロミオは主体的に剣を手にする。
このことを象徴とし、マクミラン版とヌレエフ版ではロミオ像が随分違う。マクミラン版においては彼はこのような争いの絶えない社会(大人)に対し抗う青年である。よって、戦いを好まない心優しい青年の恋と友情に焦点をあてたヌレエフ版のロミオの描き方より、我が身をとりまく状況についてより主体的に関わるロミオ像だと感じた。

・三幕二人の死後幕がすぐ下りる。ヌレエフ版にある、両家が二人の死を悼み手を取り合う、という和解を象徴する場面はない。ロミオという若者が社会に抱いた反抗心と敗れ去る事実がここでむやみに和解の場面など入れないことで際立つ演出となる。

・他にも大きく違う点として、二幕のティボルトの死の場面があげられる。ここでジュリエットが死に驚愕し悲しむ場面がヌレエフ版では見せ場ともなっているが、マクミラン版では彼女は登場しない。彼女がここで出てくると、兄ティボルトの死にまで至ってしまった両家の争いを悲しみ、同時にそれでも敵対する家の出身であるロミオを想いながら眠り薬を手にする、という一連の彼女の心情を描くのが難しいように思う。そのためかヌレエフ版では彼女が一人で死について悩む場面が長く描かれている。しかし、マクミラン版のこの演出だとそのあたりがスムーズなように思われた。


ジュリエットは飛ぶ鳥を落とす勢いのボリショイ・バレエ団からのゲスト、ナタリア・オシポワ。この人とイワン・ワシリエフの登場によりボリショイが突如として面白くなったことは以前「パリの炎」についてのエントリーでも触れたとおりである。
ロミオはABTのデイヴィッド・ホールバーグ。現在ABTでも人気のダンサーということである。ボリショイへの客演(ジゼルなど)でオシポワと最近良く組んでいるようだ。オペラ座バレエ学校に在籍していたこともある経歴の持ち主。

二人とものびやかな肢体と驚異的な脚力から生み出される軽やかなジャンプ力を生かし、この難しい振付を踊りこなした。
名場面であるバルコニーのシーンにはあまりの美しさにまだ一幕終わりだというのに涙が止まらなかった。

なんという、なんという透明感!
そこにはキトリ(ドン・キホーテ)やジャンヌ(パリの炎)を十八番としているオシポワの別の顔があった。
マクミラン版の歴史に残るジュリエットと言えばアレッサンドラ・フェリであることは誰もが異論のないことではないかと思うが、彼女とはまったく違う持ち味の歴史に残る新たなジュリエットが誕生した瞬間だった。
あの驚異的な脚力は、おきゃんな役で爆発するためだけではなく、このように透明感を表すためのものとしても有用であったのだ。

彼女への賛否両論があるのは承知している。
普段ボリショイという巨大な劇場で踊っている彼女の踊り方は、確かに大振りである。それを(顔を含め)嫌だという人もいるだろう。しかし、その伸びやかさを堪能しようとオペラグラスなしで見た彼女の踊りは、おそらく4階席の隅々にまで届いていただろう、と思えるほどの「伝える力」を持った踊りだった。
最近のロシア派のダンサーは、(その大振りからか?)予定調和的に見える踊りをするダンサーが多く私の好みではない人が多かったのだが、久しぶりに虜にされた。

デイヴィット・ホールバーグとは最近良く組んでいるからであろう、そこには今そこで踊りながら二人の間に感情が生まれているかのような熱いものが伝わってくる演技だった。

そのホールバーグであるが、ロミオというよりはトニー(ウエスト・サイド・ストーリー)というような作り(外見も、キャラクターも)なのであるが、男らしく、そして抗う若者らしく青くさい素敵なロミオだった。オペラ座の版ばかり見ていたので、そうだ、これはフリオ・ボッカ以来のABT的ロミオだ、と強く感じた。もちろんボッカと持ち味はまったく違うダンサーなのであるが。

三幕からは感情移入しきっていて、涙が止まらず困った。
馬鹿な若者二人の死の物語である。その馬鹿さから来る一直線な感じ、この話の原点であるそのパワーが、同時に若者ならではの透明感とともに描かれた渾身の演技だった。

こんなに素晴らしい舞台を現地でなく日本で観られたことに感謝している。
いまだに寝る前に目をつむるとバルコニーのシーンのあの透明感が思い出される。
最後に再度強調するが、どの場面も素晴らしかったのが、本当にバルコニーのシーンは歴史に残るものだったと思う。
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by chihiroparis | 2011-08-04 00:06 | ballet+danse | Comments(2)
Commented by りえ at 2011-08-04 09:13 x
はじめまして。この公演の感想を探していて、辿り着きました。
私はまだ鑑賞初心者なのですが、今まででいちばん感動して、この舞台は歴史的名演なのではと思っていました。ところが、意外と否定的な意見も多いのを知って、ちょっとショックだったのですが、ちひろ様のように鑑賞経験豊かな方も同じように感じていらしたと知って、とても嬉しい思いです。これは人生の宝物のひとつ、観られたことにとても感謝して、私は日常でも謙虚になってしまいました^^; 
私も未だに、時々目を瞑ってはバルコニーのシーンを想いうかべております。ほんとうに素晴らしい舞台でしたね!
Commented by chihiroparis at 2011-08-05 15:30
そうですね、まぁ好みもありますからもうあの顔が嫌、と思ったら嫌、という方もいるのでしょう(笑)(
私もロシアの某人気ダンサーが顔のせいで苦手ですから)
本当に本当に私が見てきた舞台の中でも素晴らしいものでした!
同じ感動を共有できてうれしいです(^^)
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