春の訪れ

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そろそろ庭の梅の蕾がほころんできたわよ、あなたの誕生日が近いわね、免許証の更新大丈夫?
(←※何しろ一度フランス在住中に免許をなんと失効させてしまったことがあるのだ!笑)
という母からの留守電を聞いてふと思った。

東京の実家の庭には木や花々が溢れていて、四季のうつろいを当たり前のようにそれらの変化で感じていた。
春の到来はまず、そう、玄関先の梅から感じたものだった。

パリでは1月、マルシェに南仏から届く鮮やかな黄色いミモザが売られるようになると、まだまだ寒いのに春はそれでもすぐそこなのか、と感じたものだった。

その後住んだ京都では、緑豊かな鴨川沿いを毎日自転車で通っていたから、四季折々を目で、鼻で、感じていた。

ふと、この街に来て、四季の変化に鈍感になっていることに気がついた。もちろん、新緑や秋の紅葉といった、街路樹から感じられるいわば”大きな変化”には気づくものの、東京で梅を見て、パリでミモザを見て感じたようなちょっとした季節感が、ない。そう、家から通勤先までという日々目にする空間がコンクリートの世界で、大きな街路樹以外に季節を感じさせるような植物がないのだ。

もう少し以前のような敏感に季節を感じるような生活がしたいな、などと思ったり。ベランダのガーデニングを頑張ってみようか。




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by chihiroparis | 2015-02-09 00:48 | ma vie quotidienne | Comments(0)

主にバレエ評


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