ないからこそ想像の中で生まれる美

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ルーブルのサモトラケのニケに、ずっと保管されていた右腕がお目見えするそうです。
そんな記事を読んでいたら、現代文の問題で有名なあれ、
"ミロのヴィーナスには両腕がないからこそ全体の美について人々の想像力をかきたてる"
っていう話を思い出したのでした。

調べてみたら清岡卓行氏の第二評論集『手の変幻』というのが出展なんですね。読んでみたくなりました。
受験勉強で部分的に触れたものがこうして大人になって思い出されるというのは面白い。

ところでオペラ座ではバスティーユにて白鳥の湖が上演中ですが、白鳥という作品は本当に極めるのが難しい作品だと思います。
バタバタという羽の動きにより"白鳥に見せようとしている"うちは目にうるさく感じます

ないからこそなにかそこにあるものを想像させる。
表そうとするものの形状を真似することがそれを表すことにはならない。
引き算の美にはミロのヴィーナスの両腕の話と通じるものを感じます。

先日バスティーユ地下で行われた公開リハーサルを見る機会がありました。(オデット/オディールにSae Eun Park、王子にYanick Bittencourt、ロットバルトにJeremie Le Quer)
場面は3幕黒鳥から開始。
新監督のBenjamin MIllepiedは「ブラック・スワン」の振り付けをして一躍時の人となったわけですが、ここは十八番とばかりに張り切る張り切る。指導の内容は具体的で、特に王子に女性のサポートの仕方を的確に伝え、どうしたら彼女が踊りやすく、美しく見えるかについて自ら手本を見せ指導。音楽性にも非常に細かく、かつ演技指導も、これも自ら手本を見せ、意味を説明し、しっかりと。もう少し指導役のElisabeth Maurinの貴重な指導を聞きたかったようにも思いますが、新監督のあり方が提示されたようで面白くはありました。

そのMaurinの指導でハッとしたのが2幕、白鳥オデットと王子が出会う有名なマイムのシーン。音楽も美しく、何度見ても泣いてしまう叙情的な場面です。
ここでオデットが、この湖は涙でできているのです・・・のそうあれです。涙がこぼれ落ちるような仕草と、湖をあらわすポールドブラ。このポールドブラのお手本の驚くべき洗練性。ヌレエフ世代のエトワールの凄さを目の当たりにしたという思いがしました。
先立って3幕の指導では、オペラ座らしい指導点だと思ったのが、デモンストレイティヴになりすぎないこと、という指摘。黒鳥はダンサーによってはガラ公演のようで派手にしがちです。あくまでストーリーを追うことを追求した指導はMillepiedと矛盾しないところで、この二人による、視線の置き方、そして、たとえばピケ・アラベスクにしても、ただ技術的にそれを行うのではなく意味があることの説明(ロットバルトのほうを指すように!)、など、一々納得してしまい、また、このように全ての仕草に丁寧に意味を込めていくからこそ、形式的にならずストーリーを語ることのできる舞台に仕上がるのだ、と感激した次第でした。
ちなみに、記録しておくべきこととして、ヌレエフの意図を伝承するMaurinの重要な発言がありました。ヌレエフによれば、王子はこの2幕での出会いの場面、オデットを見ているようでいて同時に鏡を見ているようにしなさい、と。オデットは自らを投影するものでもあったのだと。王子の憂いに焦点をあてたヌレエフ版をより深く理解するためには重要な伝承でした。

もともと技術的にはまったく問題のない、いわば鳴り物入りで入団したSae Eun Park、二人の指導で目の前でみるみると芸術性を増していく様子に、今後ますます期待の高まるダンサーだと感じました。ハードな白鳥の舞台に、開幕後はけが人も出ているのか配役チェンジがありYannickもアンダーながら実際に踊る日が配役された様子。他にもHanna O'nilや実力派SujetのHeloise Bourdonなど、Millepiedの采配でいっきに若手の登用が進む今回の白鳥、目が離せないですね。











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by chihiroparis | 2015-03-18 11:16 | ballet+danse | Comments(0)

主にバレエ評


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