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バットシェバダンスカンパニー Batsheva dance company DECADANCE

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バットシェバダンスカンパニー(イスラエル)DECADANCE
NDT、CND、オペラ座・・・世界中のトップカンパニーに請われる振付家、オハッド・ナハリン率いる今世界でもっとも熱いカンパニーとも言えるバットシェバの来日公演@愛知芸術劇場。私にとっては昨年12月にChaillotで見たNaharin's Virus以来。

今回のDECADANCE(DECA=ギリシャ語で10+DANCEの造語)はナハリンの監督就任10周年を記念した作品で、彼の作品の抜粋をつなげた、いわばベスト・オブ的なもの。脱コンテクスト化され、ひたすらその言語を楽しめる作り。今まで見たコンテンポラリーダンスのどのダンスとも違う圧倒的な独自性。これがナハリンの確立したGAGAダンスというメソッドによる身体だ。

バットシェバの魅力は、とにかく舞台を埋め尽くす体積だと思う。細い体から絞り出されるような心理的に迫る表現というものもあるし、空間支配が圧倒的な踊り、というときに、それが手足の長さと伸びやかさを使ったものもあるだろう。しかしバットシェバの踊りは、その体積が迫ってくるような踊りだ。内臓を外に出し、心が叫び...感じたリズムとともに体内の全てが放出され、身体が、まるで本来の体積以上の体積を持っているように感じられる。

技術的にこのことは実際にどういうことなのだろうと考えた。私が欧州で見てきた多くのコンテンポラリーにおいて、骨盤と背骨の関係が、程度の差はあれクラシックバレエの基礎である垂直関係から大きく崩れてはいない。エクにしろ、キリアンにしろ、オフバランスでバランスというクラシックに対しコンテンポラリーであろうとしたフォーサイスにしろ。このことは、自由な動きだと思われるものであっても、力学的に上半身と下半身の関係がある程度予測がつくということを意味するのではないか、と今回思った。というのも、ナハリンにおける身体は完全にこの”近代的”力学からは自由で、次の動きは予測不可能だ。要は、思いもよらない形をとるということである。これを、相当な速度で行う。そのことにより、ある程度軌跡が反復的あるいは予測可能範囲内でおさまる上記コンテンポラリーに比べ、不規則で予測不可能な軌跡が描かれ、これが速度により残像として残っているうちに次の思いもよらない軌跡がやってくる。このことで、見ているものは実際の体積以上の身体の体積を感じる・・・そのような印象を受けた。

面白いのは、1(uno),2(duo), 3(tera)...とカウントを増やしながらの踊り。クラシックでいえばエチュードのようなこの作品、1カウントに1動作が入り、カウントを一つずつ増やす動きが繰り返されることで、今度はこれらの残像が先取りされているような感覚に陥る。つまり、1,2,3,4...とくれば見ているものがすでに次の1に行っていて、脳内でぐるぐると動作がすでに軌跡になっているのだ。予測不可能と書いたけれども今度はそれを種明かししていくような仕掛けの魅力に酔った。

とにかくあと何回もみたい作品!とにかく動きを楽しめよ!とナハリンからのメッセージが飛んでくるかのような75分!


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by chihiroparis | 2015-10-15 14:35 | ballet+danse | Comments(0)
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