Jiri Kylian Trois chefs-d'oeuvre @L'Opera de Lyon

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L'Opera de Lyon でJiri Kylian Trois chefs-d'oeuvre. 彼の代表作3作品を上演。さすが、と唸る良い構成だった。

名作Bella Figura. 最近パリで上演がなくて寂しいが2000年代初頭にはオペラ座がよく上演をしていた作品。この作品を見ると、身体の神秘を胎内で感じているような気分になる。その胎内は大きなゴシック教会に入った時の祭壇のほうに向かって吸い込まれるような感じでもあり、宇宙の広がりのようでもあり。そこで、人と人が「心」でコミュニケーションするのではなくて、もっと原始的に、そう、生物的にやり取りをしているように思えてくる。それは体を開いて、そこから取り出した心臓と心臓がドク、ドク、とデュオでコミュニケーションしているような。グロテスク?いや全然違うのです。深淵で。生が聖なるものであると感じられてくる。
Opera de Lyonはこの作品には少し体に余分なものがつきすぎていると感じた。特に脚がこの作品の持つ神秘性を表現できないほどにもりもりとした筋肉で。中盤あの有名な裸体にただ赤いスカートを履いただけの場面では脚が隠れ美しかったこと。生と性と。エロス。

2作品目はHeart's Labyrinth. 1984年の作品だが初見だった。NDTのカンパニーの一人のダンサーが自殺するという衝撃的な事件をなんとか消化しようとした苦しみに溢れた作品。非常にナラティブな作品だった。見ているこちらにも迫り来る苦しみにかなり胸が痛くなったが、作品を作りながらだんだんとキリアンとカンパニーが苦しみから解放され、最期には希望の光をなんとかつかんだのだな、ということが感じられた。観ているこちらも救われる。終盤、白い衣装の場面は教会で天国へと送り出すセレモニーを観ているかのような。非常にキリスト教的な死の理解のように私には感じられた。苦しみからの解放。

3作品目、27'52''はギエムの公演でNDTのダンサーによって踊られたのを見た(@TCE)が正直そのときはあまり印象の良い作品ではなかった。
キリアンの後期作品というのは電子音楽を使った作品が増えるのだが、以前、ChaillotでNDT公演を見たときに、なんでこの時代のネオクラシックの振付家は結局こういう無機質なところに行き着くのかなぁと思いながら見た記憶があるのだけど(結局我々の愛するいわゆるキリアン的要素は弟子が受け継いでいて、さらに濃縮されていたのだった、キリアンの作品が老成と共に無機質になっていったのとはそれは反対のベクトルだった)、今日ふと思ったのだが結局なんだかやってることは「ダンサーは音符」と言ったバランシンの時代とそんなに変わらないのではと。音楽が電子音楽になって表現されるものも変わった、と。ただキリアンのはダンサーは音符、というよりは、音を受けた反応、というように感じられた。この作品でのOpera de Lyonのダンサーたちのすごかったこと。本領発揮といったところ。素早い動き、筋肉の躍動で電子音が肉になっていく。あれ、無機質と思ったけど終わってみたら肉感溢れる作品だったじゃないですか。Opera de Lyonの本質をここで見た気がした。NDTよりも肉感的で躍動的な身体。
Bella Figuraからこうして通して観て、「間」での身体表現はとても難しいものだしそのための身体はかなりクラシックな訓練を受けてないといけないのかなぁなどと考えた(ここのとこまだよく言語化できないけれども)。


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by chihiroparis | 2015-10-15 14:54 | ballet+danse | Comments(0)

主にバレエ評


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