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ミュージカル5本勝負@London

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25周年を迎えたミス・サイゴン。
記念コンサートを月曜に控えているという直前の金曜に見た。
記念の年だからなのだろうか、キャストが素晴らしく、勢いがある。世界中からオーディションに来ているのがわかるキャスト(例えばThuy役は韓国人の素晴らしいテノール、Kwang-Ho Hong)だ。
よくよく冷静に考えるとまぁひどい話なんだが、最後は号泣。隣のカナダから来たという大男のオジさんもおいおい泣いてたし、真後ろではマダムが嗚咽を漏らしていた
キム役のEva Noblezadaはレア・サロンガの系統そのまま、パワフルかつ繊細な歌声に可愛らしい容姿でクリス(映画のLes miserablesにも出ていたAlistair Brammer)と恋に落ちるストーリーに説得力がある。
もちろん最後が泣かせる場面だが、他にも見応えがあったのはクリスの奥さんとの場面か。辛い。
実際にもアジア系の2−3世がこのような舞台を担っているあたりに複雑な気分になる。

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20年以上前からもう何度も気が狂ったように見ているオペラ座の怪人。
何度見ても最後の場面、三人の想いに泣かされる。
音楽の天使として慕っていた貴方。
醜いのは顔ではなくてその心よ(劇団四季の日本語歌詞の場合)。
昨年よりも良いキャストで、満足。
ちなみに最後以外に特に好きな場面はプリマドンナの大合唱。

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エヴィータ。
これは素晴らしい!劇団四季では声が全然出てなかったのが分かる。なんとパンチのあるエヴィータ役のMadalena Albertoの歌声と、存在!
チェ・ゲバラ役はMarti Perrowという人だそうだがカスれ声であまり伸びがなかったのが残念。これが味わいだと思って配役したのか。
芝さんのチェ・ゲバラに慣れ切った私には物足りなく。
舞台装置は随分日本で見たものと違う。照明も含めちょっとチープだった。

ペロンの恋人だった女性が歌う場面、日本の配役はキーが高めの歌のせいか、可愛らしい女性を配することが多く、物語として意味不明だった。
よりセクシーな女性が歌っていたことで歌詞が伝わってきたような気がした。

ちなみに話は逸れるが、本来の物語が設定している以上に少女的な配役をすることで話が見えなくなっていることが日本では多い。
以前フランスでイギリスのカンパニーがレ・ミゼラブルを上演した際、コゼットの少女性が薄かったことで初めて自分が見ていてストーリーが納得の行く展開だった印象的で、一緒に見た同じくミュージカルに詳しい友人と、日本のミュージカルの少女役の設定について随分議論したのだった。

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レ・ミゼラブル。
会場は沸いていたが、そろそろロングランはおしまいにしたほうがいいのではと正直思った。
昨年ほどではないがキャストがひどい。ひたすらに声を張り上げて歌っているだけだ。
あくまで印象だが、若手のいい役者は他を目指すようになってしまい、いい配役が集まる舞台ではなくなっているような。
(昨年に引き続き出ていたエポニーヌだけは素晴らしかった。)
あるいは細かい描写まで可能な映画版で見てしまったからだろうか。

映画版と言えば、ミュージカルでは描けないディティールまで画にしたことで話に深みが出たことが素晴らしかったが、舞台でミュージカルとして見ているものには音が悪すぎて残念だった。狭い空間で録音されたことが感じられる音声で、舞台で同じ版を見ている者には物足りなかった。他にもラッセル・クロウ演じるジャベールの歌の下手さ等。クセのあるキャラクターは素晴らしかったものの、ジャベールはやはり朗々と歌い上げるイメージが強く(自害前の見せ場は特に)、歌の力量は役には重要だ。

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マンマ・ミーア。
この舞台を見て、皆さん何を思うだろうか。
一番最初に劇中で、友人たちが主役のドナを励ますべくDancing Queenを歌う場面。
もう若くない彼女達。背中に肉がたっぷりとついた50代?の彼女達が、まだ行ける、って生き生きと歌う。
私はずっと、どうやって、「おばちゃん」ではない年の取り方ってないものか、と老いに対して抗う形で考えていた。
それが、おばちゃん、もいいよね。年を取るのは怖くない。とこれを聞きながら思い、涙が溢れた。
苦しい事もそりゃたくさん経験しているんだけど、こうして生き生きしていたおばちゃんって素敵!人生って楽しいじゃない!おばちゃんになるのは怖くない!と本気で思えた舞台だった。

おなじみのコンサート形式の最後は、1人客なのにもうノリノリで踊ってきてしまった。

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人生の喜びから哀しみまで。ミュージカルは素晴らしい。

結論。この街にいると私破産しそう。




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by chihiroparis | 2014-10-12 19:47 | Voyage dans le monde | Comments(0)

キリアンの普遍性 キリアンプロ@TCE ノルウェー国立バレエ団

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ノルウェー国立バレエ@Theatre des Champs Elyseesでキリアンプログラム。
Bella Figura, Gods and Dogs, Symphonie des Psaumesの3作品。
オペラ座でここのところ上演がなく、大好きな作品なので久々に見て感動したBella Figura。
パリ時代の友人が真ん中を踊り、感無量だったGods and Dogs。
そして、重層的で、交響曲を視覚化したかのような圧巻のSymphonie des Psaumes。

生でないとキリアンの良さは絶対伝わらない。奥深く感じられる舞台演出の中でこそ引き立つ身体性。その奥深さには音楽も一役買っている。キリアンの普遍性を感じた。カンパニー、身体、これらが変わるごとに違った味わいが出るから見応えがある。我々の身体の美しさ、深淵さ、神聖さに気づかされる。

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数日後エクを見る機会があったのだが、エク言語では人がどこまでも解放的で外に向かって行くことで内心を視覚化しているような感じがするのに対し、キリアンは内省的で何か胎内の深遠・神聖なものに到達しようとしているように見える。動きは解放的なのだが内なるものへと向かっているような感覚。
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by chihiroparis | 2014-10-12 18:51 | ballet+danse | Comments(0)

Mats Ek's Juliet & Romeo@Sadler's Wells劇場

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わたくしが誰よりも愛する振付家、マッツ・エクの2013年の新作「Juliet & Romeo」、ジュリエットとロミオ、スウェーデン王立バレエ団。
この作品で木田真理子さんがブノワ賞を受章したことで話題になった作品。
1月にガルニエに来仏公演があるとのことで早々にチケットはおさえていたが、先にロンドンで見る機会に恵まれた。
ロイヤルのダンサーも多く見に来ていた様子。

曲はこの作品のバレエ化で馴染みの深いプロコフィエフではなく、チャイコフスキーの曲をいくつか使って構成されている。

エクは見るたびに進化しているところが好きだ。キリアンが老いた成熟のようなもの(それはモネの睡蓮の絵があのように抽象的になっていったのと似ている)へと向かっているのに比べ、彼はあくまで前衛にいると感じる。
今回も、エク言語はそのままに、さらに構成には様々な趣向が凝らされていた。登場人物が乗り物に乗ったり、壁際をマジックのように降りてきたり。

ただ、彼の他の作品に見られるような強烈な問題提議や彼独自の作品への鋭い読みと切り込み、というのはあまり感じられなかった。作品が今まで手がけたストーリーに比べたら凡庸だったか。

しかしエク言語は光り続けている。
今回強烈に感じたのは、彼の言語において脚はもはや腕であるということだった。

コンテンポラリーダンスの定義については様々な議論がある。
クラシックの何に対してコンテンポラリーか、ということを見ながらよく考える。
例えばフォーサイスはクラシックが重要視したバランスの美に対し、オフバランスをもってコンテンポラリー性を追求した、と思う。
古くは、ネオクラシックと呼ばれるバランシンは、ストーリー性のなさ、抽象性を以てネオ、だったのだろう。
バレエ・リュッスはポワントから降りることで妖精の世界から人間の世界を表すことに取り組んだ。

極論すれば、クラシックバレエでは脚はどんなに表現力を持っていても脚は上半身を支えるための脚である。
セリフがこぼれ落ちるかのような繊細かつ雄弁な足先使い、振り上げて大きく使うことで表される高揚感・・・・等、もちろん、脚は表現する手段としての発展は見せていたと思う。しかし、それらは、エク言語における脚と比較した場合には、あくまで上体を支える脚であった、と思う。
しかし、今回このエクの舞台を見ていて感じたのは、エクにおいては脚はもはや腕(手)であり、ポールドブラなのだということだった。
つまり、腕が4本ある物体が表現しているような感じがする。足先は、手と同じくらいの表現手段となっている。
これにともない頭の位置も自由だ。腕が4本になり、頭は古典で「つける」べき場所から解放され、自由自在にあちこちに「つく」。

カンパニーを構成するダンサーは多人種だった。
それによりエク言語の普遍性を強く意識することになった。
多人種・多様な特性を持つ身体により踊られることによりむしろ浮き出る普遍性。
身体的特徴が類似した同一人種により構成されるカンパニーでエクを見る時よりもこの普遍性は際立つから不思議だ。

木田真理子さんはいわゆる欧州人と並ぶ体型というものは持ち合わせていない。
非常に「日本人的」身体の持ち主だ。
それがジュリエットの少女性、あるいは無垢さを表現する手段になっていたようだ。
彼女が日本のカンパニーで同じ作品の主役を踊ったらこのようには見えないだろう。

カンパニーの来日公演を強くのぞみたい。
今までのエク作品ほどのインパクトはないが、新しいロミオとジュリエット作品として楽しんで見てもらえる作品だろう。










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by chihiroparis | 2014-10-12 14:28 | ballet+danse | Comments(0)

マノン@ROH

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ロイヤル・バレエでマノン@ロイヤルオペラハウス。
初日、マノンにマリアネラ・ヌレェス、デ・グリューにフェデリコ・ボネッリ。

オリジナルのカンパニーで見る良さを存分に堪能する。

見始めは正直、普段この作品を見慣れているパリ・オペラ座との違い(とりわけ踊りのスタイル)に戸惑っていた。
なんだかポールドブラがせわしない気がしたし、ダンサーたちの身体がやたら筋肉質なのが気になって仕方なく。

ほどなくしてストーリーにぐいぐいと引き込まれる。
主役からコールドの端の端まで、舞台に何かしらの一貫性があると言ったらよいのだろうか。
さすがはこの作品のオリジナルカンパニー、そこで伝承される細やかな演技指導というものがきっとあるに違いない、と感じた。

主役二人。ラテンの血が生きていた。こんなにマノンへの愛情が全身から溢れ出るデグリューはそうそういない。なんて愛情深いデグリュー。
もう見ていてマノンになった気持ちでフェデリコの一心な愛情を受け止めてた私(笑)。
フェデリコの特に良かったのが2幕、なんでだよ、愛し合ったじゃないか、とあのピルエットから膝まづきに入る振付での強い愛の訴え。一幕でのエレガントな愛の告白とは違う表現。そして3幕のあり得ない包容力.....!

マリアネラは前半、少し上品さに欠けるかな?エレガントではないわ、その笑い方庶民のお嬢さんみたいよ、と思ったけれど、よくよく考えてたら普段見ているオペラ座のマノンがきっとマノンにしては上品すぎるのだ。
ファムファタル、こんなもんでいいんじゃない。
というのもそのほうがいつもあまりしっくりこない2幕に説得力があったのだった。
マクミランはマノンを純粋な女性だと読んだとのこと。
純粋さ・無垢さゆえに男の人生を狂わせたファムファタルということか。

脇が名役者ぞろいなのもロイヤルならでは。中でも看守を演じたGary Avisの演技はいつもそうだが他に類を見ないもの。欲望にまみれた男をなんと強烈にしかも下衆いのに上手にセクシーに演じたことか。こういうキャラクターダンサーがいるのがロイヤルの強みだ。

なんの作品でもオリジナルのカンパニーで見てみるのは本当にいいものだ。ああこうだったの、と作品の広がりと深みが感じられる。
結局そんなわけで見終わってみればさすが役者揃いのロイヤル、ストーリーにどっぷり浸からせてもらった。こういう時は結局踊りの細かいことはあまり気にならないし、言うのも野暮な気がする。「演劇」を堪能した。

*****
同じ配役で10/16(木)現地映画館、そして翌10/17(金)には日本で映画館中継があります。
新宿バルト、大阪梅田ブルグ、他。見逃せません!



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by chihiroparis | 2014-10-12 13:40 | ballet+danse | Comments(0)

World Ballet Day

本日10月1日、World Ballet Day、だそうです。
こちらで世界の5バレエ団の稽古・リハーサル風景が中継されます。
トップバッターは日本時間11時〜オーストラリアバレエのクラスレッスン。
その後、ボリショイ、ロイヤル(マノンのリハーサルだそうです!)、ナショナル・カナダ、サンフランシスコ、と魅力的なバレエ団ばかりが続きます!
放映時刻はこちらの記事中にありました。

各カンパニーの特色が出るクラスレッスンを見るのは本当に楽しみです!




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by chihiroparis | 2014-10-01 11:42 | ballet+danse | Comments(0)