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Confiture de fraise

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規格外の小さな苺が安かったのでたくさん買ってジャム作り。
お部屋に甘い香りが充満して気持ちがふっと軽くなる。
クローブをちょっと入れてスパイシーにするのが個人的には好み。



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by chihiroparis | 2017-04-23 13:41 | cuisine | Comments(0)

キリアンプログラム Programme Jiri Kylian @Garnier

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↑1978年と古い作品だけれども初めてオペラ座のレパートリーに入ったSymphonie de psaumes

2016年末のオペラ座はガルニエでイリ・キリアンプログラム。名作Bella Figura、Tar and feathers、古い作品だけれども初めてオペラ座のレパートリーに入ったSymphonie de psaumesの三作品の上演を役替わりで二日間、キリアンを堪能。

二番プリエの多用というところで自分の中でキリアンはエクと比較して見がちなのだが、エクの二番は開放的で、意志は開いた腿よりもどちらかというと外を向いた膝の指し示すところにあり、一方、キリアンの二番では太腿外側(二番の時の上側)に力がないと発信されるものがないなと感じるのだが、その太腿の筋肉の踏み込みの力から発せられるものは非常に内省的な性質があるところがあり、二つは動作上は似ているようでいて全く違うところが面白い。

そんなことを思ったのは2000年代にオペラ座でキリアンを見ていた時には気づかなかったことで。その後リヨン・オペラ座を見て、またパリ・オペラ座での上演を見て、思ったことだったりする。
リヨンのダンサーよりパリ・オペラ座のダンサーの方がよほど形はきれいな体でコルセット姿もきれいなのだけど、クラシックを主のレパートリーとしているので体の重心が上に行きがちであり、そのため、太く力強い脚を持ったリヨンのダンサーが、床を捉えた時に動く太腿の筋肉から発信するメッセージ、これがオペラ座ではないように感じられた。(それでも一日目の若手に比べ、二日目に見たキャストでは、レティシア(ピュジョル)、ドロテ、アリス、とコンテを得意とするベテランエトワール揃いで、見ごたえがあったが。)

Bella Figuraを見ながら思ったのはキリアンの捉える人間は言ってしまえば全て「ただの」肉体でしかないということ。魂は神から与えられたもの。デュオの踊りを見ているとデュオ間での感情の交流というものはなくてすべては神聖なる神との交信、そんな気がする。

これが彼なりの人間の性への達観というか。感情的に距離感があり、全ては所与のものという冷めたものを感じる。Bir-th-dayのようなブラックなユーモアに溢れた作品をなぜ彼が作るのかなんとなくわかる。

身体がただの有機体として捉えられてる感じとでもいうのか。人間の感情表現にこだわる振付家とは全然違うし、そういう意味で彼はむしろアナトミー的でフォーサイスなどに近い感性を持っているのではないかと今回思った。

Symphonie du psaumesもこの流れにあって、大勢のダンサーが互いに身体的には交流するのに感情的には全く直接向き合っていなくて全員が神を向いて踊っている。神聖なる場には人間同士の感情は挟んではいけないらしい。あくまで身体が音楽を受け入れる客体であるようなところ、主体的な感じが舞台上にないのが特徴的。
ちなみに70年代のこの作品は言語的にまだとてもクラシックでオペラ座にはこちらの方が向いていた。(NDTのガルニエ公演で以前見たことがある。)

となるとTar and feathers(タールをかけ羽根を浴びせた刑罰)のような、「人間の二面性を描いた」という作品のように神を介さずに人の感情に切り込む手法は彼にはあまり長けていると思えず(そもそも最近の作品は無機質の極みか逆にこういう作品かのどちらかで私は好きではない)つまらなかった。舞台には3mくらいの脚をピアノにつけて高くしたところでピアニストが弾くというもので美術的には面白かったが、それ以上のものはなかった。

そうそう。Bella figuraを見ていると、胸をハサミでスーッと切り心臓を取り出して、冷たい大理石のテーブルの上で交換しあう、その心臓がドクドクと打つ音だけが耳に入るという、愛の場面なのだけど感情が排されていてそこには肉体的交信だけという神聖な場面をどうしても想像してしまう。愛する相手を感情が全て消え去るほどに心臓の音だけで感じることって、ある。


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Tar and feathers
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Bella Figura

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by chihiroparis | 2017-04-20 20:29 | ballet+danse | Comments(0)

「愛と精霊の家」Noism0 @新潟りゅーとぴあ

Noismも定期的に見ている。私が日本のカンパニーでもっとも興味を持っているカンパニー。欧州のトップカンパニーでネオクラシック寄りコンテンポラリーの今や巨匠と呼ばれる人たちのもとで一線で活躍した金森穣氏が、その体験を日本の身体にきちんと置き換えた上で、新しいものへ挑戦する姿勢での創作はいつも目が離せない。
2016年10月Noism0による「愛と精霊の家」。
見たい見たいと思いつつなかなか上演がないため本拠地新潟りゅーとぴあまで見に行くことに。
Noism0は井関佐和子、山田勇気というNoismメンバーに、ディレクターの金森穣、ゲストの元NDT小尻健太、演劇ゲストで良く出ているSPACの奥野晃士、の五人によるユニット。
作品は金森穣と井関佐和子によるプライベートユニット、unit-Cyanが発表した「シアンの家」を基に愛と死がテーマの作品。男性4人は男の愛の多面性を、女性(井関)は人形・舞踊家・妻・母になれぬ女を演じ、女の愛の孤独を象徴するとのこと。
舞台美術は赤いカーペット敷きに椅子やテーブル、トルソー、鏡など。照明が上から降りる仕組みが終盤でもっとも効果的に使われる。映像や鏡を使って世界を様々に挿入しながら話は進む。

冒頭ソロで久々に見る金森さんの踊り、相変わらずのカリスマ性が健在で嬉しい。出てくるだけで華のある人。
でもなんと言ってもこの作品の見せ場は後半小尻さんと井関さんのデュエット。「二人の間の愛が」なんて書くと、陳腐な言葉であの場面を傷つけてはいけないという気持ちになる。二人の間に溢れ出すものが伝わって来て終盤までボロ泣き。
小尻さんはNDT時代何度かパリ公演で見たけれど、たまたまキリアンの割と無機質な作品で見ていたので、ストーリー性のあるこの作品で見て見て、ものすごい色気が溢れていることに驚く驚く。井関さんへの愛おしい気持ちが身体から、動きから、溢れている。この人をもっとロマンチックな作品でたくさん見たい。
昔インタビューで井関さんが、穣さんのレベルに達するのにすごく苦しい想いをしたことを吐露していたけれども、今Noismの表現を背負って立つ井関さんの踊りに対峙することができて、彼女のカリスマ性を活かせるのは小尻さんのこの踊りくらいカリスマ性のある踊りでないとダメなのだと思った。(もっとはっきり言えば、今のカンパニー内にはまだ本当の意味で井関さんの相手をできるダンサーがいない。)


Noism0は、たぶん師匠のキリアンがNDTを1〜3にしてそれぞれの表現を追求している中の1の活動にインスピレーションを得たのではと想像する。演劇の入れ方とか。年齢を重ねたダンサーならではの表現への問いとか。

結局でも私が惹きつけられたのは現役の身体だった。小尻さんと井関さんの。重ね合うように踊る時にこちらもその呼応の渦に巻き込まれるような圧倒的なデュエット。

照明の枠(たくさんの電球からなっている)の部分が二人のデュエットの時に下まで降りて来て、身体からただただ愛情だけがその光に照らされて昇華するようだった。そこでしかし女は堕胎をし、男は消える。最後の井関さんのテーブルのソロ、細い身体から悲しみが絞り出されるようだった。

動きが直接的に感情に、体に、訴えかけて来るため、ストーリーはあるのだが、その中にいることすら忘れている言語化できるものではない「何か」が直接的にこちらの感情に訴えてくる時の感動の大きさ。ひたすらダンサーの身体から溢れたり絞り出されたりする感情をストレートに受け止めて、共鳴して、震えて、泣いて、自分の人生の中での同様な感情、出来事や人を思い出して...と、感情を舞台に委ねて心がただただ動かされる素晴らしい1時間の体験。「舞踊を見る醍醐味」が詰まった作品。再演を熱望。



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by chihiroparis | 2017-04-09 11:40 | ballet+danse | Comments(0)

「BIT」Maguy Marin @Théâtre du Rond-Point

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もう一つ2月の舞台。
Théâtre de la ville工事中につきThéâtre du Rond-PointでMaguy Marin。いやー・・・フランス人こういうのほんと好きだよね・・・満席。
舞台には7枚の板というか坂が設置してある。男女7人ほどのダンサーが手を繋いで出てきて、リズム系の音楽に最初は簡単なステップを踏んでいる・・・だけなのだが、これが段々と板を登りながらだったり走ったりと激しくなっていく。
真ん中の板から赤い布が降りてきたと思ったら男女が皆全裸で(男性はかろうじて腰に布巻いてるけど)寝た状態で肉体を絡ませながら降りてきたり、二人一組でオーガズムを連想させる動きをしたり。かと思うと一人の女性が板の上に男性に追い詰められるように登って後ろに落ちるなどレイプによる暴力と自死を想像させるような箇所もあり。最後はまた皆ちがう服着てステップステップ、ずっととにかくビートに乗せてステップを踏む1時間。
特にストーリーやプロットはなくてリズムから振り付けが始まったとはマギー・マラン談。
ルードラ出身だけどダンツシアターの影響も大きそうだなぁと思いながら見ていた。衣装はエクのいくつかの作品(アパルトマン等)のような多色(シビラのような)で普段着的。途中着替えて、最後は色味少なめの衣装で終わる。

いやー、どちらかというとかなり苦手、苦手、苦手。面白いと思う人がいるのはわかるのだが。一つは言語的(ステップを踏むだけというのが大方)な点。この手のものが面白くなるには踊り手の身体に魅力がないと私の場合惹かれない。もう一つは演劇的な側面における性の表現。どぎついものが苦手というわけでは決してない。しかしこの作品における表現はまったく共感もできなければ嫌悪感という形で強く訴えかけて来るものでもなく。
ちなみになんだかフランス映画を見ているような感じ。とてもフランス的作品だと思う。そういえばスイスの演劇ユニットZimmermann とde Perrotがモロッコのサーカス集団に振り付けた「Chouf Ouchouf(シュフ・ウシュフ)」の世界観とも似ていた(※こちらは性的な場面は全くない)。なんだろう。なんだかよくわからないけど南欧から地中海にかけての文化的なものを感じるということを書き留めておこう。

劇場は今まで縁がなくて初めて中まで入ったのだが、キモ可愛い劇場キャラクターといい内装といいキッチュでとっても好み。今度また中のサロンでお茶でもしに来たいところ。
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書店は演劇・コンテンポラリーダンスの資料が充実している。
こちらもキモ可愛い絵に一目惚れして子供用の戯曲を一冊買った。「痩せっぽっちの女王」とでも訳せばいいかな。
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by chihiroparis | 2017-04-09 11:03 | ballet+danse | Comments(0)

「Tree of codes」Wayne MacGregor

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2月。ガルニエがBoite de nuitに、とはnouvel'obsの評だったか。
心臓がバクバクして大興奮の1h20!! "「人間の体は最も面白いコンピューター。その体とコンピューターとがコラボしたらすごいいいよね」というコンセプトの作品。2015年マンチェスターフェスティバル初演。今回はオペラ座+マクレガーカンパニーダンサー。

舞台は運動解析をするときに体につけるセンサーのような光をつけたダンサーたちが真っ暗な中踊るところから始まる。ここでもうすでに身体も一つのコンピュータのようで工学的なもののように思えてくる。振付はいわば「コンピューターが二足歩行ができるようになりました、アシモ君です」という機械の新たな可能性を探るサイエンスの観点を人間に適用したようなもので、「人体がこんなことできます!」というように人体の可能性を探っているかのよう。特に動きのArticulationの可能性を探っている。こんな風に動きと動き、関節と関節がArticulerできたりするよ人体!という"つなぎの面白さ"や可能性の追求。みたこともない形で滑らかに踊るダンサー。人体の関節の神秘。
"Anatomique"で"Biologique"で"Scientifique"という言葉が浮かぶ。有機体の神秘!しかし"神秘的"と言っても多くの西欧の現代の振付家の作品に必ず香る神の存在(に対する人間の存在)は全くなくてとてもプラグマティックな感じがするのが面白い。サイエンティストに絶対見て欲しい作品!

久しぶりに大活躍のジローとベランガールが神がかっている。ジローの脚はかつて「どんな振付家も彼女と一度仕事したいと思っている」と誰かが言っているのを読んだことがあるけれど、その圧倒的存在感は健在。彼女が脚を上げるだけでそこにすでに人体の新たな可能性が感じられる。ベランガールは作品の真髄のArticulationが抜きん出ている。彼の優れた音楽性も相まってその滑らかかつ動きは有機体の神秘を感じさせる。コンピューターシミュレーションの未来系のような、とでも言ったらいいのだろうか。
マクレガーカンパニーのダンサーに至ってはさらに上を行っていてもはやこのひとたちが人体には見えない・・・。ものすごく高度なコンピューターにすら見える。でも冷たい感じがしないのがマクレガーの持ち味。人間の感情は全て排しているけど有機体の暖かさみたいなものが漂っている舞台。
身体の動きの脱日常性とか脱規範とかがideologiqueな話に感じてくるようなカラっとした工学的コンテンポラリー、好きすぎて信者になりそうです。

マクレガーといえばちょうど今月ロイヤルバレエの「ウルフ・ワークス」が映画館上映されていているのが大評判だった。普段なら間違いなく見に行ってるところなのだけどいろいろかなり参ってて行かれず。DVD化を切に願いたいところ。

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by chihiroparis | 2017-04-07 14:43 | ballet+danse | Comments(0)

「人生タクシー」Taxi Teferan (Jafar Panahi)

ジャファル・パナヒ監督作品。
4/15から日本公開だという記事をみて、あ、これフランスで2015年に見たなぁ、記録しておこう、と。フランス題は「Taxi Teheran」。
パナヒ監督の作品は「Sang et Or」をARTEで見たのがきっかけで知った。
社会問題を市井の人々の視線から鋭く描く作品ゆえイラン当局に国内での撮影を禁止された監督は、今作で自らがタクシー運転手に扮してテヘラン市内を走り、車内に設置したカメラで乗ってきた人々との会話を撮影するという斬新な手法を取った。イラン情勢を痛烈に批判するようなエピソードばかり。俳優なのか本当に偶然乗ってきた人なのかわからないけれどもとにかく面白くて笑いすぎて涙が止まらず。奇才だ。どこまでがフィクションなのかさっぱりわからなかったのだが、どうも今回日本での上映にあたり出ている記事によれば一部のみ脚本付きだったそうだ。
ベルリン国際映画祭金獅子賞受賞作。

会話から見えるイラン社会。そういえば台所から見えるイラン社会イラン式料理本 」)も面白かったなぁ。制約がある中で鋭く社会が描かれる。



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by chihiroparis | 2017-04-07 08:32 | cinema | Comments(0)