春の訪れ

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そろそろ庭の梅の蕾がほころんできたわよ、あなたの誕生日が近いわね、免許証の更新大丈夫?
(←※何しろ一度フランス在住中に免許をなんと失効させてしまったことがあるのだ!笑)
という母からの留守電を聞いてふと思った。

東京の実家の庭には木や花々が溢れていて、四季のうつろいを当たり前のようにそれらの変化で感じていた。
春の到来はまず、そう、玄関先の梅から感じたものだった。

パリでは1月、マルシェに南仏から届く鮮やかな黄色いミモザが売られるようになると、まだまだ寒いのに春はそれでもすぐそこなのか、と感じたものだった。

その後住んだ京都では、緑豊かな鴨川沿いを毎日自転車で通っていたから、四季折々を目で、鼻で、感じていた。

ふと、この街に来て、四季の変化に鈍感になっていることに気がついた。もちろん、新緑や秋の紅葉といった、街路樹から感じられるいわば”大きな変化”には気づくものの、東京で梅を見て、パリでミモザを見て感じたようなちょっとした季節感が、ない。そう、家から通勤先までという日々目にする空間がコンクリートの世界で、大きな街路樹以外に季節を感じさせるような植物がないのだ。

もう少し以前のような敏感に季節を感じるような生活がしたいな、などと思ったり。ベランダのガーデニングを頑張ってみようか。




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# by chihiroparis | 2015-02-09 00:48 | ma vie quotidienne | Comments(0)

Lander/Forsytheプログラム (2014.09)

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備忘録。
2014年9月ガルニエ。Lander/Forsythe プログラム。

LanderのEtudes。アルビッソン・アリュ・ラヴォーという若手トップクラス組で見る。
ニコラ・ル=リッシュのエネルギーにパトリック・デュポンの破天荒さを足すもののオペラ座育ちのエレガンスを持ったアリュ。
繊細な持ち味で育ちの良さそうな、品のあるラヴォー。
これからのオペラ座を引っ張るまったく違う持ち味の二人による黄金時代の到来を感じる。
しかしこの後ラヴォーくんは名前を変えてなんですか、 Artur Allardにしたんですよね。
なにか思うところでもあったんでしょうか。
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Woundwork 1
マリ=アニエス・ジロー、エルヴェ・モロー
アリス・ルナヴァン、フロリアン・マニュネ。
前回アニエス/マチューで見た時より良かったように思うが、しかしそれでもあまり印象の強い作品ではない。
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Pas./Parts
フォーサイスの何がコンテンポラリーか。ということについてよく技巧的な面でわたしもあれこれ書いたりするが、今回思ったのはなんだかんだいってファッション。と笑。オードリックが踊るフォーサイスのなんとファッショナブルなこと!なんだか一連の動きがファッション雑誌の頁をめくっているような感覚に陥る。以前この作品を見たときに一人その腕の動きで際立っていたベランガールをもってしても感じなかったこと。フォーサイスを見てこういう感覚に落ちたのは初めて。




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# by chihiroparis | 2015-02-09 00:32 | ballet+danse | Comments(0)

Les héritiers

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Les heritiers(遺産相続者たち):言わずと知れたPierre Bourdieu & Jean=Claude Passeronによる有名な研究であるLes heritiers(遺産相続者たち)と同じタイトルの映画?これは何か言いたげ、とバスからOdeonの映画館前の広告を見かけて翌日映画館に飛び込む。
移民出身者の多い”荒れた”郊外(banlieu)のリセの生徒たちが、教師の呼びかけで歴史コンクールに出ることになり、そのテーマであるナチスによるユダヤ人迫害の歴史について議論をしまとめていく中で、このテーマを通し自らの出自や自らを取り巻く社会、人種、差別、etc...についても考えて行くというもの。
Entre les murs(パリ20区僕たちの教室)、La cour de Babel、と最近「郊外」学校を扱った映画・ドキュメンタリーが続々と出てきていますね。

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# by chihiroparis | 2014-12-22 16:02 | cinema | Comments(0)

ミュージカル5本勝負@London

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25周年を迎えたミス・サイゴン。
記念コンサートを月曜に控えているという直前の金曜に見た。
記念の年だからなのだろうか、キャストが素晴らしく、勢いがある。世界中からオーディションに来ているのがわかるキャスト(例えばThuy役は韓国人の素晴らしいテノール、Kwang-Ho Hong)だ。
よくよく冷静に考えるとまぁひどい話なんだが、最後は号泣。隣のカナダから来たという大男のオジさんもおいおい泣いてたし、真後ろではマダムが嗚咽を漏らしていた
キム役のEva Noblezadaはレア・サロンガの系統そのまま、パワフルかつ繊細な歌声に可愛らしい容姿でクリス(映画のLes miserablesにも出ていたAlistair Brammer)と恋に落ちるストーリーに説得力がある。
もちろん最後が泣かせる場面だが、他にも見応えがあったのはクリスの奥さんとの場面か。辛い。
実際にもアジア系の2−3世がこのような舞台を担っているあたりに複雑な気分になる。

*****
20年以上前からもう何度も気が狂ったように見ているオペラ座の怪人。
何度見ても最後の場面、三人の想いに泣かされる。
音楽の天使として慕っていた貴方。
醜いのは顔ではなくてその心よ(劇団四季の日本語歌詞の場合)。
昨年よりも良いキャストで、満足。
ちなみに最後以外に特に好きな場面はプリマドンナの大合唱。

*****
エヴィータ。
これは素晴らしい!劇団四季では声が全然出てなかったのが分かる。なんとパンチのあるエヴィータ役のMadalena Albertoの歌声と、存在!
チェ・ゲバラ役はMarti Perrowという人だそうだがカスれ声であまり伸びがなかったのが残念。これが味わいだと思って配役したのか。
芝さんのチェ・ゲバラに慣れ切った私には物足りなく。
舞台装置は随分日本で見たものと違う。照明も含めちょっとチープだった。

ペロンの恋人だった女性が歌う場面、日本の配役はキーが高めの歌のせいか、可愛らしい女性を配することが多く、物語として意味不明だった。
よりセクシーな女性が歌っていたことで歌詞が伝わってきたような気がした。

ちなみに話は逸れるが、本来の物語が設定している以上に少女的な配役をすることで話が見えなくなっていることが日本では多い。
以前フランスでイギリスのカンパニーがレ・ミゼラブルを上演した際、コゼットの少女性が薄かったことで初めて自分が見ていてストーリーが納得の行く展開だった印象的で、一緒に見た同じくミュージカルに詳しい友人と、日本のミュージカルの少女役の設定について随分議論したのだった。

******
レ・ミゼラブル。
会場は沸いていたが、そろそろロングランはおしまいにしたほうがいいのではと正直思った。
昨年ほどではないがキャストがひどい。ひたすらに声を張り上げて歌っているだけだ。
あくまで印象だが、若手のいい役者は他を目指すようになってしまい、いい配役が集まる舞台ではなくなっているような。
(昨年に引き続き出ていたエポニーヌだけは素晴らしかった。)
あるいは細かい描写まで可能な映画版で見てしまったからだろうか。

映画版と言えば、ミュージカルでは描けないディティールまで画にしたことで話に深みが出たことが素晴らしかったが、舞台でミュージカルとして見ているものには音が悪すぎて残念だった。狭い空間で録音されたことが感じられる音声で、舞台で同じ版を見ている者には物足りなかった。他にもラッセル・クロウ演じるジャベールの歌の下手さ等。クセのあるキャラクターは素晴らしかったものの、ジャベールはやはり朗々と歌い上げるイメージが強く(自害前の見せ場は特に)、歌の力量は役には重要だ。

*****
マンマ・ミーア。
この舞台を見て、皆さん何を思うだろうか。
一番最初に劇中で、友人たちが主役のドナを励ますべくDancing Queenを歌う場面。
もう若くない彼女達。背中に肉がたっぷりとついた50代?の彼女達が、まだ行ける、って生き生きと歌う。
私はずっと、どうやって、「おばちゃん」ではない年の取り方ってないものか、と老いに対して抗う形で考えていた。
それが、おばちゃん、もいいよね。年を取るのは怖くない。とこれを聞きながら思い、涙が溢れた。
苦しい事もそりゃたくさん経験しているんだけど、こうして生き生きしていたおばちゃんって素敵!人生って楽しいじゃない!おばちゃんになるのは怖くない!と本気で思えた舞台だった。

おなじみのコンサート形式の最後は、1人客なのにもうノリノリで踊ってきてしまった。

*****
人生の喜びから哀しみまで。ミュージカルは素晴らしい。

結論。この街にいると私破産しそう。




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# by chihiroparis | 2014-10-12 19:47 | Voyage dans le monde | Comments(0)

キリアンの普遍性 キリアンプロ@TCE ノルウェー国立バレエ団

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ノルウェー国立バレエ@Theatre des Champs Elyseesでキリアンプログラム。
Bella Figura, Gods and Dogs, Symphonie des Psaumesの3作品。
オペラ座でここのところ上演がなく、大好きな作品なので久々に見て感動したBella Figura。
パリ時代の友人が真ん中を踊り、感無量だったGods and Dogs。
そして、重層的で、交響曲を視覚化したかのような圧巻のSymphonie des Psaumes。

生でないとキリアンの良さは絶対伝わらない。奥深く感じられる舞台演出の中でこそ引き立つ身体性。その奥深さには音楽も一役買っている。キリアンの普遍性を感じた。カンパニー、身体、これらが変わるごとに違った味わいが出るから見応えがある。我々の身体の美しさ、深淵さ、神聖さに気づかされる。

******
数日後エクを見る機会があったのだが、エク言語では人がどこまでも解放的で外に向かって行くことで内心を視覚化しているような感じがするのに対し、キリアンは内省的で何か胎内の深遠・神聖なものに到達しようとしているように見える。動きは解放的なのだが内なるものへと向かっているような感覚。
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# by chihiroparis | 2014-10-12 18:51 | ballet+danse | Comments(0)

Mats Ek's Juliet & Romeo@Sadler's Wells劇場

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わたくしが誰よりも愛する振付家、マッツ・エクの2013年の新作「Juliet & Romeo」、ジュリエットとロミオ、スウェーデン王立バレエ団。
この作品で木田真理子さんがブノワ賞を受章したことで話題になった作品。
1月にガルニエに来仏公演があるとのことで早々にチケットはおさえていたが、先にロンドンで見る機会に恵まれた。
ロイヤルのダンサーも多く見に来ていた様子。

曲はこの作品のバレエ化で馴染みの深いプロコフィエフではなく、チャイコフスキーの曲をいくつか使って構成されている。

エクは見るたびに進化しているところが好きだ。キリアンが老いた成熟のようなもの(それはモネの睡蓮の絵があのように抽象的になっていったのと似ている)へと向かっているのに比べ、彼はあくまで前衛にいると感じる。
今回も、エク言語はそのままに、さらに構成には様々な趣向が凝らされていた。登場人物が乗り物に乗ったり、壁際をマジックのように降りてきたり。

ただ、彼の他の作品に見られるような強烈な問題提議や彼独自の作品への鋭い読みと切り込み、というのはあまり感じられなかった。作品が今まで手がけたストーリーに比べたら凡庸だったか。

しかしエク言語は光り続けている。
今回強烈に感じたのは、彼の言語において脚はもはや腕であるということだった。

コンテンポラリーダンスの定義については様々な議論がある。
クラシックの何に対してコンテンポラリーか、ということを見ながらよく考える。
例えばフォーサイスはクラシックが重要視したバランスの美に対し、オフバランスをもってコンテンポラリー性を追求した、と思う。
古くは、ネオクラシックと呼ばれるバランシンは、ストーリー性のなさ、抽象性を以てネオ、だったのだろう。
バレエ・リュッスはポワントから降りることで妖精の世界から人間の世界を表すことに取り組んだ。

極論すれば、クラシックバレエでは脚はどんなに表現力を持っていても脚は上半身を支えるための脚である。
セリフがこぼれ落ちるかのような繊細かつ雄弁な足先使い、振り上げて大きく使うことで表される高揚感・・・・等、もちろん、脚は表現する手段としての発展は見せていたと思う。しかし、それらは、エク言語における脚と比較した場合には、あくまで上体を支える脚であった、と思う。
しかし、今回このエクの舞台を見ていて感じたのは、エクにおいては脚はもはや腕(手)であり、ポールドブラなのだということだった。
つまり、腕が4本ある物体が表現しているような感じがする。足先は、手と同じくらいの表現手段となっている。
これにともない頭の位置も自由だ。腕が4本になり、頭は古典で「つける」べき場所から解放され、自由自在にあちこちに「つく」。

カンパニーを構成するダンサーは多人種だった。
それによりエク言語の普遍性を強く意識することになった。
多人種・多様な特性を持つ身体により踊られることによりむしろ浮き出る普遍性。
身体的特徴が類似した同一人種により構成されるカンパニーでエクを見る時よりもこの普遍性は際立つから不思議だ。

木田真理子さんはいわゆる欧州人と並ぶ体型というものは持ち合わせていない。
非常に「日本人的」身体の持ち主だ。
それがジュリエットの少女性、あるいは無垢さを表現する手段になっていたようだ。
彼女が日本のカンパニーで同じ作品の主役を踊ったらこのようには見えないだろう。

カンパニーの来日公演を強くのぞみたい。
今までのエク作品ほどのインパクトはないが、新しいロミオとジュリエット作品として楽しんで見てもらえる作品だろう。










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# by chihiroparis | 2014-10-12 14:28 | ballet+danse | Comments(0)

マノン@ROH

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ロイヤル・バレエでマノン@ロイヤルオペラハウス。
初日、マノンにマリアネラ・ヌレェス、デ・グリューにフェデリコ・ボネッリ。

オリジナルのカンパニーで見る良さを存分に堪能する。

見始めは正直、普段この作品を見慣れているパリ・オペラ座との違い(とりわけ踊りのスタイル)に戸惑っていた。
なんだかポールドブラがせわしない気がしたし、ダンサーたちの身体がやたら筋肉質なのが気になって仕方なく。

ほどなくしてストーリーにぐいぐいと引き込まれる。
主役からコールドの端の端まで、舞台に何かしらの一貫性があると言ったらよいのだろうか。
さすがはこの作品のオリジナルカンパニー、そこで伝承される細やかな演技指導というものがきっとあるに違いない、と感じた。

主役二人。ラテンの血が生きていた。こんなにマノンへの愛情が全身から溢れ出るデグリューはそうそういない。なんて愛情深いデグリュー。
もう見ていてマノンになった気持ちでフェデリコの一心な愛情を受け止めてた私(笑)。
フェデリコの特に良かったのが2幕、なんでだよ、愛し合ったじゃないか、とあのピルエットから膝まづきに入る振付での強い愛の訴え。一幕でのエレガントな愛の告白とは違う表現。そして3幕のあり得ない包容力.....!

マリアネラは前半、少し上品さに欠けるかな?エレガントではないわ、その笑い方庶民のお嬢さんみたいよ、と思ったけれど、よくよく考えてたら普段見ているオペラ座のマノンがきっとマノンにしては上品すぎるのだ。
ファムファタル、こんなもんでいいんじゃない。
というのもそのほうがいつもあまりしっくりこない2幕に説得力があったのだった。
マクミランはマノンを純粋な女性だと読んだとのこと。
純粋さ・無垢さゆえに男の人生を狂わせたファムファタルということか。

脇が名役者ぞろいなのもロイヤルならでは。中でも看守を演じたGary Avisの演技はいつもそうだが他に類を見ないもの。欲望にまみれた男をなんと強烈にしかも下衆いのに上手にセクシーに演じたことか。こういうキャラクターダンサーがいるのがロイヤルの強みだ。

なんの作品でもオリジナルのカンパニーで見てみるのは本当にいいものだ。ああこうだったの、と作品の広がりと深みが感じられる。
結局そんなわけで見終わってみればさすが役者揃いのロイヤル、ストーリーにどっぷり浸からせてもらった。こういう時は結局踊りの細かいことはあまり気にならないし、言うのも野暮な気がする。「演劇」を堪能した。

*****
同じ配役で10/16(木)現地映画館、そして翌10/17(金)には日本で映画館中継があります。
新宿バルト、大阪梅田ブルグ、他。見逃せません!



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# by chihiroparis | 2014-10-12 13:40 | ballet+danse | Comments(0)

World Ballet Day

本日10月1日、World Ballet Day、だそうです。
こちらで世界の5バレエ団の稽古・リハーサル風景が中継されます。
トップバッターは日本時間11時〜オーストラリアバレエのクラスレッスン。
その後、ボリショイ、ロイヤル(マノンのリハーサルだそうです!)、ナショナル・カナダ、サンフランシスコ、と魅力的なバレエ団ばかりが続きます!
放映時刻はこちらの記事中にありました。

各カンパニーの特色が出るクラスレッスンを見るのは本当に楽しみです!




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# by chihiroparis | 2014-10-01 11:42 | ballet+danse | Comments(0)

匂いと記憶

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マラケシュの記憶は、Fleurs d'Orangerの香り。

***
一つの香水瓶がカラになった。
瓶を捨てようとして、ふとこの香りとつながるいろいろな記憶が蘇った。

イタリアのだというその香りとは、夏の暑い時期、フランスの北ドーヴィルの雑貨屋で偶然出会った。
「男と女」で有名な海岸沿いの街。
パリからほど近いこの海岸には何度も行ったけれど、
あれは親友のカンボジア系フランス人と一緒に行った時だな。

気に入っていた頃はもう一瓶欲しいと思っていたが、どこを探しても見つからなかった。
そのうち他にもっと気に入った香りが出来たのでたまにしかつけなくなったのだけど、
大事にしていた頃は、大事な場面にだけつけていた。
その、大事な場面、のいろいろが思い出されて、捨てる前にもう一度瓶を眺めた。
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# by chihiroparis | 2014-07-15 20:19 | reflexion sur... | Comments(0)

Noism「カルメン」- Carmen by Noism

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金森穣率いるNoismによる「Carmen」。

ストーリーにというよりはダンサーの身体性に圧倒され、最後の方わけもわからず涙が溢れる。
終演後はしばらく呆然として椅子から立ち上がれないほどだった。是非欧州で紹介されるべき、と強く思う作品。

***
Noismを観たのは旗揚げ後のパリ日本文化会館での公演を観て以来だったので、かなり久々。
あの時は金森穣というダンサーの才能が他のダンサーより突出しすぎていて、その振付の才能に、新しい時代が日本の舞踊界に来るんだ、という期待に胸高まりつつも同時に、彼の思う舞踊をいったい誰が具現して行くんだろう、とも思ったのだった。

久しぶりに観て、そして彼自身が出演していない舞台を観て、これがルードラでベジャールと、NDTでキリアンと、リヨンでエクをはじめとした先進的振付家たちと・・・欧州の第一線の舞踊界に触れて来た金森穣がその後その経験をもとに日本人の身体性と本気で向き合った結果なんだと思うと、感動で泣けてきた。
確かにエクの影響は言語的にも構成的にもすごく大きいと思ったし、フォーサイスが使ってる手法など欧州コンテンポラリーの現在の影響があちらこちらに散見されたけれども、それは真似事ではなくて、彼の中で完全に消化されて彼自身の言語や舞台構成として生きていると感じた

日本人の身体性と真摯に向き合って、と最初に書いたのはそこで、影響を自分のものにし真似事になっていないのはダンサーたちの身体と日々向き合って作ったものだからだろうと思う。劇場付き、カンパニーつきの振付家だからこういうことができたのかなと。

ダンサーでは主役カルメンを演じた井関佐和子が突出している。アジア人女性が恋愛ものを演じると多くの場合おそらくはその身体や表情の特徴から意図せずして女の哀しみのようなものが出てしまい、男性を圧倒するような女性を演じることはとりわけ難しいと常々感じているが、圧倒的なファム・ファタルを演じていて驚いた。

***
オペラや既存のバレエ作品が原作の一部であるホセとカルメンの恋愛に焦点をあてて脚色されているのと違い、この作品は原作の世界観を描いている。すなわち、当時の南スペインの下層社会で生きる人々、そしてそれに関わる「よそ者」たち。オペラやバレエで馴染んでいるカルメンよりも、もっと土臭く、荒々しく、そして誰もが痛々しいほどに必死に生きている。
日本人の身体性と向き合った、と書いたけどこれはでも同時に不思議なほど普遍性を持っている作品。

***
一つだけ私が受け入れられなかったのは、その、「よそ者」の目、を描くために取り入れた演劇の手法、つまり役者のナレーションを入れたことだった。そのセリフ回しが私の中にある演劇体験と重なってしまい、記号としてそれらの記憶が呼び覚まされて、凡庸なイメージを抱いてしまった。役者が声を張りあげれば張り上げるほど興ざめしてしまう、そのことは金森氏の舞踊言語に魅惑され同時に普遍性を感じるのとはまったく違うベクトルだった(私の中での受け止め方が)。アフタートークで金森氏は演劇界から影響を受けたと実際口にしていたし、無声映画の浪曲師のようなセリフ回しは日本的な様式美でもあり使いたかったのだろうが、声はダンサーが時折発する奇声だけでよかったのではないかと感じた。話をわかりやすくと思ったのかもだし、内と外、という構造において、ストーリーの外にいる者の目、を表現したかったのだろうけど、そこは見る側の想像に委ねてはだめだったのか。もっと「行間」があったほうが面白かったのではないか、と私は感じる。
あるいは、既存の演劇との記号性を取り払うべく、声を演劇的に張り上げず、マイクを使ってでも「語り」の形にするのではダメだったのだろうか、などいろいろと想像して考えた。それもこれも、彼の舞踊言語があまりに魅力的だったためにそのものだけを邪魔されずにもっと堪能したいと思ったからである。

***
とにかくあと五回くらい連続で観たいと久々に思うような作品。
それから、これはぜひ他のカンパニーでも観たい。観ながらすぐにパリ・オペラ座や、彼の出身のリヨンオペラ座だったらどう踊るだろう!と想像してワクワクしたし、新国立劇場バレエもこういうものを演じることで広がる幅があるのでは。
そうやってカンパニーって伸びて行くのだと思う。
そこではまたきっと、金森氏がNoismで向き合ったものとは違う身体性と向き合うことになるが、きっとそれがNoismによるこの作品の上演にも何かをもたらすのでは。ピナ・バウシュ、キリアン、エク、ベジャール・・・偉大な振付家たちの作品と彼らのディレクションするカンパニーがそうやって発展してきたように。


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# by chihiroparis | 2014-06-28 02:53 | ballet+danse | Comments(0)

CND Campania Nacional de Danza de Espana スペイン国立カンパニー初来日!

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嬉しい話題。
CND(スペイン国立ダンスカンパニー)が秋に初来日!

ディレクターは言わずと知れたジョゼ・マルティネス。
パリ・オペラ座のエトワールを引退後、母国に戻り、ナチョ・ドゥアトの後を継いでディレクターに就任。
オペラ座時代より振付家としても活躍しているマルティネスの作品は、一作目である「Mi favorita」の初演から見ているが、「Soli-ter」などお茶目なユーモアに溢れた作品から、「Delibes Suite」のようなクラシックの言語を彼なりに再構成した作品、また、「Scaramouche」(オペラ座バレエ学校への振付作品)のような華やかなディベルティッスマン、そして本格的幕ものの「天井桟敷の人々」と、年々発展し続けている。

彼の作品は登場人物、ダンサー、そして、彼がダンサーとして出会った全ての作品や振付家への強い愛情とリスペクトを感じさせるものだと私は感じている。しかもそれは決して二番煎じや真似事でなく、彼の理解、経験を通して今度は彼の言語として表されている。ダンサーとして、その身体を通して我々に語りかけていた物語、そしてダンスへの愛情を、今度は自らの振付を通して私たちに伝えようとしているのだ。
そんなダンスへの愛情と知性溢れる彼がディレクションするカンパニーCND。

今回の来日作品だが、彼自身の作品の他、キリアンやフォーサイス等彼のキャリア上非常に重要な振付家の作品が並ぶ。他にもナハリンやガリーリといった注目の振付家の作品が選ばれており、本当に彼ならではの鋭いセンスを感じる。
オペラ座からオーレリア・ベレがプリンシパルとして移籍し、クラシックもコンテンポラリーも踊れるカンパニーとして変身を遂げたCND。これは個人的には今秋もっとも注目の舞台、見逃せない!
 
(チラシPDFへのリンク)
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# by chihiroparis | 2014-06-14 03:01 | ballet+danse | Comments(0)

Le palais de Cristal, Daphnis et Chloé

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画像はCulturebox記事より。

ライブビューイングがすっかり定着しましたね。
日本でも、パリ・オペラ座、ロイヤル・バレエ、ボリショイ、等世界各国のバレエ団の舞台を一ヶ月〜数ヶ月遅れで映画館で見られるという素晴らしい企画です。

先日オペラ座の舞台同時中継が欧州の映画館にてありましたが、その時の映像がなんとCultureboxで配信されています。12月5日までの配信だそうです。
9月に日本の映画館でも上映する予定のもの。

一つ目はバランシンが1947年にオペラ座に振付けた「Le palais de cristal (水晶宮)」。その後ラクロワがルビー・ブルー・エメラルド・ダイヤ色のまばゆいばかりの美しい衣装を手がけた華やかな作品です。NYCBの「Symphonie in C」と衣装が違う(こちらはバランシンらしい、女性はシンプルなレオタード、男性はTシャツに黒タイツ)が同じ作品、と紹介されがちですが、振付られた時のカンパニーごとの特色(男女の舞踊手の地位、メソッド、等)により、振付にも実は違いがあります。

二つ目は、次期オペラ座バレエの芸術監督となる、バンジャマン・ミルピエによる新作「Daphnis et Chloé(ダフニスとクロエ)」。数々の芸術家達が絵画で表現し、ラヴェルが曲で表したこの作品、いかにミルピエ氏が自分が今後ディレクションを取るカンパニーのダンサーたちを良く観察したかわかります(決まってからというものの、舞台を見に行くたびに、彼の姿を見かけましたから)。ダフニスのエルヴェ・モロー、クロエのオレリー・デュポンはもちろんですが、海賊のフランソワ・アリュをはじめ、若手の登用にははっとすることでしょう。彼らの個性と、秀でたところを愛情を持ってすくいあげたこの振付に、監督としても期待ができる、という印象を強くもちました。

貴重な舞台です。配信が終わらぬうちにぜひ。

ちなみに、ミルピエ体制ですが、Maître de Ballet associé à la directionであったローラン・イレールが辞職、同ポストにMaître de Balletだったクロチルド・ヴェイエ氏が入り、そしてなんと、オレリー・デュポンが引退後にMaître de Balletに就く、という朗報が!
オレリー・デュポンは、引退後俳優などバレエ以外の道に行くことをインタビューで示唆していたのでこのニュースには驚きですが、オペラ座の至宝と言うべき彼女が後輩の指導に当たるだなんて、ファンとしてはこれほど嬉しいことはありません。伝統的オペラ座のクラシックバレエから、その知性の光るコンテンポラリーでの踊りまで。彼女のキャリアのすべてがカンパニーに継承されていってほしいと思います。
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# by chihiroparis | 2014-06-08 23:03 | ballet+danse | Comments(0)

杉本文楽 曾根崎心中

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メトロでもあちこちで見かけた杉本文楽のポスター。

****
文楽におけるコンテンポラリーだという評判の杉本文楽。
見たいと思っていたがなかなか日本では予定が合わず残念に思っていたところ、パリでTheatre de la Villeにて上演していたので見ることができた。
さすがDanseでもいつもいつも前衛的なものを取り上げ、興味深いプログラムを組んでくるTheatre de la Villeだ。

お客さんの9割以上がフランス人。ほぼ客席も埋まっているしすごい人気だ。

あでやかな着物、CGも使った斬新な演出、それに伝統の繊細な人形遣い。
手の先まで、まるで生きているかのようなその動きに、終演後はスタンディングオベーションが。

日本食といい、MANGAにアニメといい、一部のマニアのものではなくもはや日本文化はミックスカルチャー都市パリの一部を構成している気がする、と言ったら言い過ぎだろうか。
いずれにせよ、このような企画が客席をほぼ満席に出来るということが嬉しい限り。
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# by chihiroparis | 2013-11-24 00:00 | culture | Comments(0)

Merci

大好きなMerci.
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パリに戻ると一番違うなって感じるのが野菜や果物の味。
帰国してから数年経って、最近は戻るたびにシンプルなものばかりを好んで選んでいることに気づいた。
サラダとか、生ジュースとか。
手の込んだものは最近日本のビストロも美味しいですからね☆
最近一番感動したのは友人宅で出してくれたアーティチョークかな。茹でて手作りマヨネーズつけて、ああ幸せ。食べるのに夢中になりすぎて、あらやだ、写真がなーい!笑 
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# by chihiroparis | 2013-11-21 23:25 | gourmet/gourmand | Comments(0)

マッツ・エク「カルメン」シルヴィ・ギエム×東京バレエ団、「エチュード」東京バレエ団

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↑画像はLyon BalletのHPよりいただきました。登場人物が何人も葉巻を吸ったり、叫んだり、実にカッコいい作品です。
********

さんざんオペラ座も見ているのですが、どうもオペラ座のこととなると書き残すのに気合いが入るらしくなかなか書けなくていけません。

とりあえず見たばかりのマッツ・エク版「カルメン」シルヴィ・ギエム×東京バレエ団、でも。
カルメン:シルヴィ・ギエム、ホセ:マッシモ・ムッル、M:高木綾、エスカミーリオ:柄本弾、オフィサー:木村和夫
あたりが主要キャスト。

古典におけるジェンダーの役割固定に異議申し立てをするかのような作品(「ジゼル」)や、登場人物の心理の一面を肥大化したような作品(「白鳥の湖」)など、古典の読み替えで鋭い知性を発揮する振付家、マッツ・エク。わたくしがもっとも好きな振付家の一人である。
「カルメン」はこれらの作品に比べると、話への独自の理解という意味ではそこまで個性的ではないのだろうが、舞台構成と振付という意味では非常に彼らしい強烈な作品だろう。登場人物が実際に葉巻を吸ったり、叫びわめいたり、ギラギラした衣装をまとったり、動きがへんてこりんだったり(エスカミーリオの色男ぶりとか)と、エクワールド炸裂である。見たアナタは必ずニヤリとしてしまうことだろう。

とにもかくにもまずは日本でエク作品が上演されたことが喜ばしく、見られただけでも幸せ。しかも、正直あまり期待していなかったのだが、何とも素晴らしい舞台であった。ベジャール作品に果敢に挑戦し続けてきたことなどで積み上げられた東京バレエ団の力がエク作品で花開いたかのようだった。

特筆すべきは高木綾と柄本弾。
一人だけエクの言語を使いこなしていた高木綾の素晴らしいこと。
エク言語の特徴としては、力強く深い2番プリエ、登場人物の意志をその脚だけで表すかのような個性的なデヴェロッペとそれに付随される真っすぐに伸びる腕、などが印象的だが、同時に、肩甲骨から肩にかけてを非常に柔軟性を持って用いながら、合わせて首の出し入れを行う、この動きによって、人物の様々な心情を巧みに表現する、ということがあげられる。
この、肩甲骨から肩にかけての柔軟性を一人だけ習得していてエクの世界をひときわ切れ味鋭く描きだしていたのが高木だった。なんと素晴らしく知性溢れる踊りだったこと。

そして、日本にこんなダンサーがいることがとても嬉しくなった、柄本弾の強烈な存在感。
クラシックでないこういう作品で、このような強い個性を持って役を演じられる人については(これは他のカンパニーの感想でも良く書くことだが)、多少どこかしらの動きの中で基礎の欠如なんかが見られたところでまったく気にならないのである。強烈な個性と物語を作り出せる力を持った人というのはそうそういるものではないからである。

ギエムは、良くも悪くも、ギエムのカルメン、であった。天才というのはそういうものかもしれない。何を踊ってもルグリだったし何を踊ってもギエムなのである。しかし年齢を考えると驚異的な踊りである。個人的には彼女の個性である無機質さというのがあまりカルメンらしくない気がしてならない。何しろ、アナ・ラグーナの大ファンである私なので、もう少し土臭いカルメンが好みなのだ。ラグーナといえば指導に来ていたようで、客席で見かけて実に興奮した。

前回この作品をギエムで見たのが、リヨン・バレエとのコラボレーション@シャトレ座なのであるが、コールドは断然リヨンバレエが厚みがあって良い。東京バレエ団のコールドは、女性が可愛らしすぎた。具体的に言うと、エク言語の使用に躊躇があって、上半身がお上品すぎて使い切れていなかった。

ホセのムッルは色気ムンムン。何度かギエムのお相手として見ているがこんなに良いと思ったことは初めてである。マノンのデ・グリューでは違和感を感じたのは、あれはイタリア男のお色気が過ぎたのか。

それにしてもこのような作品を上演できる力と個性があるカンパニーだということを心から評価したいし、同時にそれは、なぜそれなのにプロとしてお金を取って見せるレベルではない「エチュード」のようなクラシック作品を踊ることにこだわるのか、という批判にもなる。これは悪口ではない。それならばこのカンパニーを見に行かなければよいのだから。エクやベジャール作品で見せる素晴らしい一面を持ちながら、セット上演で出来てもいないことを有料で披露することを、前者を評価するだけに残念に思っているのである。 
いろいろとクラシックにこだわりたい事情があるのは想像できるが、それならばもう少しクラスレッスンをきちんとすべきだと感じた。特にソリストの足先の処理など基礎的訓練が明らかにおろそかにされている他、ベテランがレビューのように顔で踊っていて、さらにそれが若手で登用されている人にも引き継がれているのが気になった。後ろのほうにそれなりの人がいるのにとりわけ登用されている人がひどいというのは、登用が才能ではないものによるものと想像するが、私は内情を知るものではないのでこれは想像にすぎない。
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# by chihiroparis | 2013-11-21 22:18 | ballet+danse | Comments(0)