人気ブログランキング | 話題のタグを見る

2015/2016 Gala D'ouverture オペラ座2015/2016シーズンオープニングガラ

2015/2016 Gala D\'ouverture オペラ座2015/2016シーズンオープニングガラ_f0008907_13094873.jpeg
2015/2016 Gala D\'ouverture オペラ座2015/2016シーズンオープニングガラ_f0008907_14051064.jpeg
 2015-2016シーズンは新ディレクターバンジャマン・ミルピエが初めて組んだプログラムとなる(昨年度は就任したものの前ディレクターであるブリジット・ルフェーブルの組んだプログラムであった)。シーズン初日のガラは、彼がキャリアを積んだ国であるアメリカ流で、社交界の人々を招きディオールの協賛がつき、それをメディアが追いにくる、という華やかなもの。国からの予算が減らされていく中、「伝統的だけど古めかしいあれ」ではなく、メセナ活動により経済界の支援を得るために、オペラ座をもっと華やかで社交の場としていくことが、ナタリー・ポートマンという著名な妻を持つ彼の使命であることは明らか。しかし、僕は有名人の妻なだけではないとばかりに、自身の新作を開幕の作品として上演し、その作品のカーテンコールにもデフィレにも出てくることで、振付家でありディレクターであることを強くアピールした。
 正直言って振り付けの才能が非常にある人だとは思えないけれども、それでも彼が受けてきたアメリカのバレエの潮流を強く感じるという意味では興味深かった(自身も言っているようにバランシン・ロビンスといったNYCBの流れはもちろんのこと、表現主義の流れを私は強く感じた)。言語的にはこのくらいクラシックな人たちとのほうが振り付けが生きるようで、彼のL.A.Dance Projectでの振り付けよりは格段に深みがあって面白かった。
 続くテーマとヴァリエーション。バランシンの名作。オペラ座には1993年にレパートリーに入っているが、最近は上演はかなり久しぶりだと思われる(少なくとも私は見たことがなかった。待ち望んだ上演!)。パリではLes etes de la danse でマイアミバレエが上演したのを見たことがある。(ちなみにこの時、エトワールのマチュー・ガニオが当時のディレクションを批判し、世界にはこんなに美しいバレエがあるのにオペラ座はコンテンポラリー寄りで・・・と言っている。)オペラ座の踊るバランシンはとても優雅だが、「ダンサーは音符」と言った、自身もソ連で音楽教育を受けた音楽家であるバランシンの目指すレベルで音を視覚化できているかといったら、まったくできていない。音楽が立体的に動くあの圧倒的なバランシンの良さは感じられなかった。もっとも、それを実現するにはNYCBのダンサーのように、音楽に追いつくべく外側の筋肉が大きく発達した身体にならないといけないわけで、そこはオペラ座の目指すところではないだろう。新エトワールのエケと、彼女の持ち味である繊細な爪先使い・伝統的なポールドブラ、という点が共通するオファルトを主役に持ってくるあたり、ミルピエの目はオペラ座の良さや伝統とは何かということを相対化した上で強く認識していると思った。
 最後にデフィレ。長年使われてきたベルリオーズから、なんと音楽が1926年の初演の際のタンホイザー序曲に変わった。少々盛り上がりに欠けるし、間が空いている気がする。しかし鍛えられた身体でダンサーがただ歩いてくる様子は圧倒的。この身体を作るためにどれだけの努力がはらわれているか、と想像するといつもここで感動を覚える。最後に真ん中にミルピエとオペラ座バレエ学校校長プラテルが出てくる。オランド大統領およびペルラン文化大臣臨席のもと、伝統継承の場をアピールしたかったのだろう。伝統といえば、通訳をしたオペラ座バレエ学校の某先生の言葉を思い出す。ワガノワと違い、記譜されておらず口承のオペラ座派は、伝統にそれだけきびしくなければすぐに伝統が消えてしまうのだ、ということ。これがオペラ座の伝統であり良さだ、ということが、最近はあまりディレクションがわかっていないような気が外国人の目から見てしていたのだが、ミルピエはおそらくこれらが何かよくわかった上で現代化していくだろう。批判もいろいろあるが私は相変わらずこういう外部を知っているディレクターに期待をしている。

by chihiroparis | 2015-09-25 07:10 | ballet+danse

主にバレエ評


by chihiroparis